朴順来さんのこと

 
 朴来順さんは、1942年2月、中国から、日本の軍艦で海南島に連れてこられ、海口の「慰安所」に入れられ、 1943年1月に、三亜の紅沙の「慰安所」に移された。 そこには、台湾人と朝鮮人が50数人いたという(朴来順口述、張応勇整理「我被騙逼当日軍“慰安婦”的経歴」より)。

張応勇さん(1940年生)は、
 「日本の罪悪史を調査していて、朴来順さんのことを知った。なんども訪ねて、ようやく、1994年秋からすこしづつ話しを聞かせてもらうこができた。  故郷に帰りたかったら、領事館を通じて話してあげようといったが、ここで長い間暮らしたのだから、ここで死ぬといった」と、わたしたちに話した。
保亭にある朴来順さんの墓碑
朴来順さん(1942年2月 海口で)
朴来順さん(1993年8月 保亭で)
 朴来順さんは、保亭で、‘アマニ’(オモニのこと)と呼ばれていたという。
朴来順さんの故郷 朝鮮慶尚南道咸安
 
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